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【2025/07/20 15:22 】 |
諏訪紀行 神体守屋山の謎を追え
守屋山が諏訪大社の神体山であることは以前書きましたが、
それについて疑問があります。

そもそも、「神体山」とは何か?

まず、神体山と聞いて最初に考えなければいけないのは、「三輪(ミワ)山」です。
三輪山は、奈良県桜井市にある大神(オオミワ)神社の神体山です。
そして、三輪山の神は「大物主」と呼ばれており、「蛇体」だといわれています。

古事記・日本書紀では、
「三輪の神はただたんに蛇体なのではなく、大っぴらにではないが
蛇体として処女のもとにかよい、そしてその子を生むという形に
なっているのである。」

すなわち、
「蛇が「最古の男根の象徴」(中略)だと言うことではなかろうか。」

「どうかすると私たちは、大地がそれじたいおのずからにして
豊饒なものであるかのように思いこみがちである。
(中略)
そういう「母」なる地が豊饒であるためには、それを孕ませる男性原理が必要で、
その象徴がつまり蛇にほかならぬという関係になっていたはずである。」

どうやら、神体山には蛇体の神がいて、
その神は大地に生命力を与えるという設定になっていたようです。
大神神社の神体山、三輪山の神が蛇体であり、生命力の源だと書きました。
ここまで三輪山の話をしていたのは、大神神社と諏訪大社の類似点から
守屋山が神体山とされた原因を探るためです。

大神神社   
神体は三輪山。三輪山には大物主という神がいる。大物主は蛇身。

諏訪大社(上社)
神体は守屋山。諏訪大社(上社)にはミシャグジが祭られている。ミシャグジは石棒。

諏訪にある縄文時代の遺跡から、石棒と土偶がセットで発掘されていることから
推測して、大地の生命力が増し、食べ物に困らない生活ができるように、
男性の象徴「石棒」と女性の象徴「土偶」を使って、大地の生命力が増加する
「おまじない」をしていたのではないかと言われています。

石棒が男性器を模した物ならば、蛇が「最古の男根の象徴」という考えと
結びつけると、ミシャグジ=石棒=男根=蛇から
ミシャグジは蛇であるという考えが出てきます。

大神神社の大物主も、諏訪大社のミシャグジも蛇であり、
それは生命力の源なのです。

ここまでで、蛇が人間にとって特別な存在であるため、
崇拝されていたことが分かりました。
しかし、神体山と蛇の関係はまだ分かっていません。

三輪山と守屋山に蛇神が祭られていた理由は何なのか。
それには特別な理由はなく、三輪山も守屋山も人里に近くて、
それほど高さもない身近な山だったから
その山の岩陰に、蛇が潜んでいるイメージが浮かびやすかったのだと思います。

「私たちは山を垂直的に天と結びつけ、
その天から神が山に降臨してくると見なしがちである。
しかしそれは王権神話として高天の原の神々が出現した以後の (中略) 話。
山は古くは天ではなく、むしろ地にぞくしており、そこは地霊の、
あるいは国つ神の領くところとされていた。
高山霊峰への宗教的崇拝は修験道の影響による点が多く、
一般にいわれているほどそう古くないと見ていいのではなかろうか。
カムナビも高くそびえる峰ではなく、三輪山がまさしくそうであるように
人びとの生活圏の間近にあり、樹木が茂り、
あるいは岩磐(イワクラ)などを有する山地をいう語であったと思う。
つまりそこには里と山とを結ぶ水平の軸があった。」

以上のことから、守屋山が諏訪大社の神体山である理由が
少し明らかになってきました。


あと、守屋山が「モリヤ」山と呼ばれるようになった由来も
気になって調べたのですが、分からなかったので
「モリヤ」の由来の仮説を立ててみました。

また三輪山の話から入ります。
三輪山は、「三諸(ミモロ)山」(古事記)や「三室(ミムロ)の山」(万葉集)
とも言われます。

「ミムロ山は、蛇神がこの山の土中のムロヤを棲みかとしていると
信じられていたのにもとづく名であろう」

そして、諏訪大社上社で行われていた儀式にもムロヤが関係しています。
「「諏訪大明神絵詞」はいう、「十二月廿二日。……同日御室入。
大穴ヲ堀テ其内ニ柱ヲタテ、棟ヲ高クシテ、
萱ヲ葺キ軒ノ垂木、土ヲササヘタリ。(中略)」」

この12月22日から翌年3月まで行われる儀式は、
大穴を掘りその上を覆った中で行われ、
儀式において、蛇体の模型が重要な意味を持ちます。

「この祭式は上社から東南約一・五キロ、守屋山の北麓の神原(ゴウバラ)
という地区でとりおこなわれた。
代々の大祝神氏の居館も存し、ここは諏訪社の重要な神事の執行される
古い聖地であった。」
「現在の前宮社務所、内御玉殿や十間廊のある一帯が神原であるという。」

具体的に言えば、諏訪大社・上社前宮の近くにある「御室(ミムロ)社」が、
ミムロの儀式を行っていた場所のようです。

「三輪山はミムロ山と呼ばれたが、それは蛇神のこもり棲むムロが
山中にあると見たためで、蛇神をまつる諏訪もその神体山は
やはり一種のミムロ山であったはずである。
したがってここに掘られた土室は、当然、蛇のムロ屋を象徴化した空間であり、
それが「蛇之家」と称されたゆえんもそこにあるといってよかろう。」

諏訪大社の上社前宮で、ミシャグジ=石棒=蛇が祭られていることや、
「蛇のムロ屋」が儀式に取り入れられ、特別視されていることから、
山中の岩穴「ムロ」→「ムロヤ」→「モリヤ」→「守屋」
ではないかと考えました。


参考文献
『古代人と死 大地・葬り・魂・王権』 西郷信綱 平凡社ライブラリー
『守矢史料館周辺ガイドブック』 茅野市神長官守矢史料館
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【2010/06/13 10:06 】 | 諏訪 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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