車道から石段を上ると、二本の木の間に注連縄を張ったものが目に入ります。
どのような由来があるのかは不明です。
右手側には「一の柱」があります。
御柱の実物を見るのは、これが初めてなので少し感動しました。
頂部には棒状のものがくっつけられています。
左手側には神楽殿があります。1862年に建てられたそうです。
この位置には「二の柱」があると思ったのですが、見つかりませんでした。
柱は四本と決まっているわけじゃないのかな?
どういうことなの…
注連縄の下をくぐって階段をのぼると、拝殿と本殿があります。
諏訪市教育委員会の立て札によると、拝殿と本殿は建てられた時代が異なるみたいです。
元々は本殿だけあって、後から拝殿と神楽殿が建てられたのかもしれません。


拝殿は外部も内部も彫刻が多くて、装飾過多と思えるくらいです。
本殿の内部は見ることができません。
外部も床下まで、板で囲まれています。
本殿の床下に石室があって、石棒が安置されているかもしれないと思ったのですが
確認することはできませんでした。
本殿の裏には、「三の柱」と「四の柱」がありました。
拝殿の左右には、石の祠が沢山あり、謎の石造オブジェもあります。
謎ばかりが増えていきます…
「諏訪大社復興記」によると、足長神社の祭神は「足摩乳神」(諏訪市四賀字足長山鎮座)
諏訪大社に対して足長神社は、「独立せる摂末社」であり、「元・村社」だそうです。
足長神社は諏訪大社の管理下にあるけれども、
足長神社の祭神は諏訪大社の祭神ではないみたいです。
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